2011年8月16日火曜日

五山送り火 過敏な反応でなかったか

きょう16日は、京都五山の送り火である。日本を代表するお盆の行事だが、今年は悲しいものになってしまいそうだ。

 東日本大震災の津波でなぎ倒された岩手県陸前高田市の国の名勝「高田松原」の松で作った薪(まき)を燃やす計画が二転、三転したあげく中止となったためである。

 薪から放射性セシウムが検出されたのは事実だが、行事を取り仕切る保存会や京都市関係者には予定通り実行してもらいたかった。失望を禁じえない。

 五山送り火の来歴には、諸説がある。平安時代に弘法大師空海が「大」の字を書いた、室町将軍の足利義政が息子の死を弔うために始めた…などである。長い歴史を経て、現在では「お盆の精霊(しょうりょう)送り」行事として、全国から多くの観光客を集めている。

 震災で犠牲になった人々の霊を慰めたいという当初の意図は、関係者の間ですぐに受け入れられた。しかし、一部からは「燃やせば東京電力福島第1原発から放出された放射能が広がる恐れがある」との懸念が示された。

 五山のうち大文字保存会は「一人でも反対があれば強行できない」と断念し、全国から反発が巻き起こった。京都市長が仲介に立って要請し、一時は五山そろっての実行が決まっていた。

問題の松の表皮部分から検出された1キロ当たり1130ベクレルという放射性セシウムの数値は、「吸い込んでも健康に影響がないレベル」(大津留(おおつる)晶・長崎大学病院准教授)だという。

 震災とそれに続く原発事故、節電によって、国民は大変な苦労を強いられている。被災者は直接的な被害と闘い、それ以外の人たちには彼らを励まし、復興を手助けする大切な役割がある。

 風評に過剰に反応し、がれきの受け入れがストップしたり、東北産の農作物や水産物、牛肉が売れなくなったりしたのは無責任に不安をあおった結果でもあり、許されない。今回と事例は異なるが、過ちを繰り返してはなるまい。

 気まずい思いを残したこの問題には、新たな展開もあった。千葉県の成田山新勝寺から、9月25日の「おたき上げ」で燃やしたいとの申し出があったという。宗教者の善意として歓迎したい。

 風評には冷静に対処し、被災者の思いを自らのこととして受け止められる社会をめざそう。

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